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朝鮮(韓国)売春婦(慰安婦 Ianfu)の歴史(2)【李氏朝鮮時代】その1
『春香伝』に見る李朝の退廃 【前編】 (ENJOY Korea)
『春香伝』に見る李朝の退廃 【前編】









■ はじめに


小説『春香伝』は朝鮮を代表する古典小説です。
朝鮮?人にもっとも愛読されてきた作品であり,
小説だけでなく唱劇,演劇,映画などを通じて広く親しまれてきました。
【拙作スレッド参照: 日本語 / 韓国語



この作品,李朝後期に成立したものですが,
中国が舞台で中国人が主人公の小説が多い中,
朝鮮が舞台で登場人物が朝鮮?人の誇らしいものです。


朝鮮が舞台で登場人物が朝鮮?人・・・・


そうです。そのためこの小説は,
李朝後期の朝鮮社会をよく活写しているところがあります。
能天気,荒唐無稽,現実離れして稚拙な文章構成の
他の多くの朝鮮小説
とは異なり,
社会各層の生活を知るためのよい資料といえるでしょう。


さて,この作品には両班から賤民まで,さまざまな階層が登場します。
そのうち重要な役割を果たす3人に焦点を当て,
この小説から読み取れる朝鮮時代の階級社会について考えてみます。。。



 
『春香伝』


 









■ 妓生    被虐者


主人公・春香がこの身分に属す。


朝鮮半島の娼婦を指す言葉で,実態は芸者兼娼婦。
狭義では李氏朝鮮時代,清の皇帝からの使者や高官の接待,宮中内の宴会などで
楽技を披露するために準備された女性の賤民の事をさす。
初潮前の少女を妓生とすることも多かったが,日韓併合後に少女を妓生とする事を禁止。



李氏朝鮮時代の妓生は,3つのランクに別れていた。







一牌・・・一級妓生。美貌で歌舞に長じた官妓。王宮や上流社会の宴会に招かれた。
      「薬房妓生」「針房妓生」「教坊妓生」あるいは「玉堂妓生」と官女に近い地位で,
      官位まで持ったものもいたが,地方の官妓はもっぱら官吏の接待で,
      性奴隷のような境遇にあった。
二牌・・・二級妓生。官妓の落ちこぼれかそれに準ずるもの。
      隠君子とも呼ばれる。住宅街の中で暮らし,隠れて売春するものが多かった。
三牌・・・三級妓生。技能をもたず,もっぱら酌婦として勤めた。
      完全な売春婦。雑歌を唄って接客したとされる。


妓生は歌舞が売物であったが,性も提供した。
身分的には賎民,官卑であったので,両班・官僚の命令とあれば拒むことはできなかった。
ようするに,現代風に言えば,「歌って踊れる売春婦」というところでしょう。



朝鮮半島はソウル以外は,典型的な村社会だから,
日本の江戸の吉原のような遊廓はなかった。
「三牌」の集落は売春宿になっていました。道楽好きな両班が通うのは,妓生の宿。
『春香伝』の「華房」とは「妓生房」のことである。


妓生は外交にも積極的に使われた。
明・清からの外交使節にも,こうした「妓生外交」は続いた。
清の詔使が来京の場合,宴席には女楽を行い,京にある時は医女,私娼を部屋住の妓とし,
沿線に於いては官妓をこれに当て,多大な費用を要したという。
倭人と呼ばれた日本人にも,妓生の侍る宴席を設けて,これを鄭重にもてなした。
『権発日記』中宗2年(1507年)にも倭の「野人」の宴席に,
才色兼備の妓生を供進したと記録されている。


また,妓生は政治的・政策的にも有効に使われた。
辺境地区を守る将兵たちを慰撫するために,国境の豆満江に至るまでの6ヶ所の「鎮」や,
女真族の出没する白頭山近辺の4ヶ所の「邑」に妓生を派遣し,
将兵の衣服の繕いや酒食の相手や夜伽として侍らせた。



大きな「鎮」には,60人の妓生を置き、
危険と不安と不聊と退屈に悩む鎮護の将兵達の慰安婦として彼女たちにサービスさせ、士気と鼓舞をしようとしたのである。


そうした意味では,李朝五百年は「妓生政治」・「妓生外交」によって,
その平和が保たれていたと言って良い。


まさに「従軍慰安婦」は,朝鮮伝統文化である。
そして朝鮮社会・文化において,
「芸のできる慰安婦」妓生は非常に大きな役割を果たしていたのである。



申潤福 「聴琴賞蓮/恵園風俗図帖」 1805年以降?


 
▲ (左)玉堂妓生  一牌。両班専門。
  (右)馬に乗る妓生


 
▲ (左) 妓生 
  (右) 日露戦争における妓生の慰問  1905年  日本軍幕舎前。


http://kofree.net/board/bbs/board.php?bo_table=tbl002&wr_id=15?is_status=http%3A%2F%2Fkofree.net%2Fboard%2Fbbs%2Fboard.php%3Fbo_table%3Dtbl002%26wr_id%3D15
朝鮮時代の写真?
最近ネットに出回っているもの。真贋のほどは不明。
モデルは妓生ではないかと推測されている模様。



 









■ 行政官    加虐者


『春香伝』の悪役,南原に新任した卞府使は,
当時の代表的な悪徳官吏の典型として描かれている。


卞府使は赴任したその日から民衆の財産を貪り,好色のみを求めた人物。
府令の仕事には,春に農民に国有米を貸与し,秋にそれを返済させる還上事務,
民生保護,田税事務,罪囚の刑の適正不適正を再審する事務,
府内の管理などがあるが,それらはそっちのけで
ひたすら民財の略奪を行い,巻き上げた金銭で酒色にひたっていた。



哲宗2年(1851年)閏8月,左議政・金興根は,







「最近の暗行御史よりの報告によれば,十中七,八はみな贓史(賄賂を取る役人)であって,・・・」(*1)

と貪墨の弊(役人が利を貪って心が汚れる弊害)を述べている。

彼ら特権階級・両班は,世界が彼らのためにあると考えて省みず,
農民の婦女の貞操を踏みにじることぐらいは日常茶飯事であった。

粛宗5年(1679年)2月,南九万の上疏にも,








「近頃,勢力家が他人の妻妾を掠奪し,奸騙狙詐し,醜辱なる行為の数々を重ねている。(*2)


これらの史料からも伺えるように,
新任早々の南原府使・卞学道が赴任したその日に「妓生都案(名簿)を提出させ」,
守庁妓生(おかかえ妓生)「五十首(50人)」の容姿のチェックをし,
なお飽き足らずに引退妓生・月梅の16歳の娘・春香を呼びつけたというのは,
十分ありうること。妓生の娘を陵辱することぐらいは,
当時の守令としてはきわめて普通なことであり,むしろこれに逆らい,
たてつく春香のほうがアブノーマルであった
のである。



そして地方長官から下級官吏まで結託しており,
下級官吏が地方長官の爪牙の役を務め,上述のような苛斂誅求を行っていた。


(*1)『国朝宝鑑』哲宗2年の条。
(*2)『国朝宝鑑』粛宗5年の条。



開城官衙
 
▲ (左) 登庁する官吏
  (右) 官吏の下人


 


後編に続く。。。



(=´ω`=)y─┛~~

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